お墓を探して
写真は十津川郷士、野崎主計のお墓。十津川村川津の共同墓地にあることは分かっていたが、ネットを調べても正確な場所が分からない。現地に行けば何とかなるだろうと思っていただけど、川津には全く人影がない。 山の中腹に墓地が見えたので、大汗を流しながら登ってみると、野崎姓の墓石がた...
天辻峠からの絶景
天忠組の本陣がおかれた天辻峠から見た眺望。 天辻峠は分水嶺でもあり、交通の要所でもあった。 天忠組の足跡を追って奥大和を旅した時、各地で思いも掛けない絶景に出会う。 #五條市
龍泉寺(東吉野村)
龍泉寺は、天忠組の義士だけではなく、幕府側紀州藩士の菩提寺でもある。 (位牌の表記は紀井藩となっています) #東吉野村
明治維新、発祥の地
五條新町はこんなまちです。 #五條市
首を洗った手水鉢
天忠組が五條代官所を襲撃し、代官の首をはねる。 その首を洗ったとされる手水鉢が櫻井寺に残っている。 櫻井寺は天忠組の本陣となった寺。 #五條市
戦いの地にて
天忠組は大日川(おびかわ)で幕府側の藤堂藩と戦いました。 大日川にある丹生神社の宮司様に貴重なお話をお聞きしました。 大日川の戦いは、天忠組が少数にもかかわらず、正面から互角に戦った唯一の例と語られています。 丹生神社には樹齢300年のイチョウの巨樹があり、藤堂藩から...
南朝ゆかりの賀名生
南北朝時代に後醍醐天皇がこの賀名生(あのう)にお住まいになられました。天皇陛下をお迎えするだけの尊皇意識の高かった土地柄だったのではないでしょうか。 天忠組はこの尊皇の地で幕府側と戦いました。 今日は賀名生をドローンで撮影。(撮影:住田幸一) #五條市
菊の御紋
天忠組の変を描いた和州騒動之図(名張市文化財指定、赤目町柏原区)を撮影する。 高取城での戦いの場面をよく見ると、天忠組が菊の御紋を掲げて幕府側の高取藩と戦っている。 この絵図が書かれた1864年頃に天忠組が世の中からどのように受け止められていたかを知る手がかりにもなる。
美しい観音様
東吉野村鷲家にある龍泉寺で、首から上の病にご加護を授けて下さる野見観音を撮影させて頂く。 天忠組と天忠組討伐の命を受けこの地で命を落とした若き紀州藩士の菩提寺である。 #東吉野村
幻の大和行幸
神武天皇陵を撮影。 孝明天皇の神武陵参拝が実現していたら、この国の歴史はどのように変わっていたのだろうか。