玉置神社(十津川村)「上平主税」安政5年に上京、諸国の志士と交わる。文久3年、天誅組の変に際しては、急ぎ帰郷し収拾に努めた。明治2年、横井小楠要殺事件で首謀者と見なされ、伊豆新島に終身流刑となった。流刑中医業を生かし種痘をするなど、多くの島民や流人の命を救い、恩人と尊敬された。明治12年に特赦を受けて帰郷。玉置神社の詞官となった。 #十津川村
「上平主税」安政5年に上京、諸国の志士と交わる。文久3年、天誅組の変に際しては、急ぎ帰郷し収拾に努めた。明治2年、横井小楠要殺事件で首謀者と見なされ、伊豆新島に終身流刑となった。流刑中医業を生かし種痘をするなど、多くの島民や流人の命を救い、恩人と尊敬された。明治12年に特赦を受けて帰郷。玉置神社の詞官となった。 #十津川村