竹志田熊雄の墓十津川村風屋 風屋ダムのほとり国道168号線から急坂を登った風屋共同墓地にある。熊雄は熊本県玉名市外島宮の祠官の家に生まれ、幼少より文武に秀で、尊皇の志厚く、文久3年(1863)8月の天誅組の変には、進んで挙兵に参加、各地に奮戦した。天誅組は高取城攻撃後、戦利あらず十津川郷へ退去した。生来病弱であった熊雄は、病が重くなり、風屋において31才で亡くなった。知人の風屋、前田雅楽(うた)によってこの地に葬られた。 #十津川村
十津川村風屋 風屋ダムのほとり国道168号線から急坂を登った風屋共同墓地にある。熊雄は熊本県玉名市外島宮の祠官の家に生まれ、幼少より文武に秀で、尊皇の志厚く、文久3年(1863)8月の天誅組の変には、進んで挙兵に参加、各地に奮戦した。天誅組は高取城攻撃後、戦利あらず十津川郷へ退去した。生来病弱であった熊雄は、病が重くなり、風屋において31才で亡くなった。知人の風屋、前田雅楽(うた)によってこの地に葬られた。 #十津川村